記憶の糸 3








「はい、では貴方の名前は?」

「えっと…私の名前は……ロイ・マスタング…」

「階級は?」

「……大…佐……です…」

爆発のあと、1週間眠り続けたロイがようやく目を覚ましたのは昨日のこと。

すぐに医師による検査が行われた。

結果、日常的な生活を送る分にはなんら問題はないということがわかった。

もちろん、記憶がないことを除いてだが……

そして、医師の許可がでたその瞬間から、リザの個人授業が始まった。



「名前も階級もあっています。ですから、もう少し自信をもってください。それと、『大佐です』ではなく、『大佐だ』とはっきりと!」

「は、はい…」

繰り返されるロイ・マスタング練習。

そして、それを警護を兼ねて病室の隅から見守る部下2人。

「しかし、こんなに綺麗さっぱり自分のことだけ忘れるなんてことあるんだな…」

病院のため煙草が吸えず、どこか落ち着かないハボック。

ロイの記憶喪失の範囲は、自分と自分に関する人、そして軍部のことのみ。

日常生活に関係するようなことや、一般常識といったことは覚えている。

「それは、一時的な記憶喪失によく見られる症状ですね。はやく元に戻るといいのですが…」

ここでも豊富な知識量を披露してくれるファルマン。

そんな2人が見守る先で続く授業は、始まってかれこれ3時間が経った。

そして、まだまだ終わりそうにない。



「ではもう一度、自己紹介をしてみてください」

「は、はい…えっと……私の名前はロイ・マスタング……階級は…大佐…だ」

「ですから、もっと自信と威厳をもって!」

「はいっ、すみません!」

2人とも真剣にやっているのだが、ハボックとファルマンにしてみれば、コントをしているようにしか見えない。

しかし、自分自身の記憶がないということは、ここまで人格が変わってしまうものなのだろうか。

目が覚めて、初めてロイに自分の名前と職業を告げた瞬間を思い出して、ハボックはまた思い出し笑いを堪えることとなった。

















「いいですか、貴方のお名前は『ロイ・マスタング』です」

「ロイ……マスタング……?」

慣れ親しんでいるはずの名前なのに、ロイはつたない口調で伝えられた自分の名前を繰り返す。

そんなロイの様子を見るのは正直つらいとハボックは思った。

しかし次の瞬間、それまでのシリアスな空気は跡形もなく吹っ飛ぶこととなる。

「で、貴方の職業は軍部の大佐です」

「……軍部の大佐……………ぐんぶ………たいさ…………………大佐っ!?」

まん丸に見開いた目。

ぽかーんと開いた口。

普段は自信いっぱい、余裕たっぷりのあのすました顔が、こうまで豹変するものかとある意味関心してしまうほどだった。

「大佐、大丈夫ですか大佐?」

混乱するだろうから落ち着くまでしばらく待とうとしたリザだったが、1分たってもそのまま焦点の合わないロイのことが不安になったのか、顔の前で手を振りながら呼びかける。

「……はっ!?……今何か空耳が聴こえたような……」

「しっかりしてください、大佐!」

「そうそう…『大佐』とかなんとか……あはははは……って、大佐!?僕が大佐!?」

まぁ、普通の人に「今日から貴方は軍部の大佐です」なんて言ったら、これが当然の反応だろう。

それにしても、ロイの驚き方は尋常ではない。

それ以上に、ハボックには気になったことがあった。



「『僕』……?大佐が自分のことを『僕』って………ぶはっ!?」

つい噴出してしまったあと、ハボックは慌てて口元を両手で押さえると、頭を低くして襲ってくるであろういつもの焔に備えた。

しかし、いつまで待ってもパッチンという音は聞こえてこない。

そろりそろりと顔をあげ、うっすら目を開けてベッドの方を見ると、きょとんとした顔をしたロイがいる。

「あ…あれっ……焔は…………?」

「……?……ほのお………?」



そういえば………もう一つ確認しておかなければならない大切なこと。

まだ、この人には伝えていなかった。

一つ大きく深呼吸して、リザがそのことを伝える。





「ロイ・マスタング大佐…貴方は錬金術師なんです。しかも、錬金術師の中でもトップクラスの国家錬金術師、『焔の錬金術師』です」





「………こっか…れんきんじゅつ…し……………」



フェードアウトしていくロイの声。

「大佐?ちょっと、大佐っ!?」

開いたままの瞳の前で手のひらを振ってみるが、何の反応もない。



「……気絶してるわ………」



1時間半後、リザはまた同じことを始めから繰り返すこととなる。













「ですから、もっと自信と威厳を!」

何度目かのリザの教育的指導が入る。

記憶を失くした相手に流石に銃は使っていないが、それも時間の問題だ。

その証拠に、右手の指先が先ほどからぴくぴくともどかしそうに動いている。

「それと、華やかさも忘れてはいけません。女性に対するときはもっと優しく、それでいて鋭さもあわせてください」

「そ…そんな〜!僕…じゃなかった、私には無理ですよ…大体、そんな人本当にいるんですか!?」

「………仕方ないですね…ハボック少尉!」

「は、はいっ!?」

いきなり呼ばれてハボックは慌ててベッドの側へ向う。

リザのイライラの限界が見えているだけに、ここは慎重に行動しなければならない。

「な、なんでしょうか?」

「ちょっと、大佐の真似をしてくれないかしら?」

「えっ!?」

「いつもやってるでしょ、アレよ」

『アレ』というのは、やはりいつものアレだろう。

いくら頼まれたこととはいえ、流石に恥ずかしいものがある。

しかし、背に腹はかえられぬ。

命あってのものだね。

触らぬ神に祟りなし。

コホンと咳払いをひとつして、右手を高く上げる。



ポチンッ!

ロイのいつものソレより遥かに軽い音。

片方の口角を上げて意味ありげな微笑を浮かべる。

そして、いつもの決め台詞。



「私の名はロイ・マスタング、階級は大佐だ。覚えておきたまえ」



真っ白な病室に吹き荒れる冷たい風。

突き刺さるような痛い視線。

「あああああぁぁぁぁ!こうなることが分かってたからやりたくなかったのに……」

頭を抱えてしゃがみこんでしまったハボックの肩を励ますようにファルマンがポンとたたく。

言い出したはずのリザですらため息をついてしまう。

しかし、一人だけ違う意味でショックを受けている人がいた。



「これが……僕………?」

ベッドの上には、まるでこの世のものではないものに出会ったかのような真っ青な顔をしてハボックを見つめているロイがいる。

「嘘…いや、これは違うよね……ちょっと…かなり大袈裟にやってるだけ…ですよね?」

救いを求めるようにロイはリザの方を見る。

しかし、その視線に込められた意味はリザには届かなかった。

今、リザの心にあるものはロイの『ロイ・マスタング教育』のみ。



「そうですね…普段の大佐の方がもう少し華があり、格好つけている感じがしますが、概ね少尉のお手本通りですね」

無常にも告げられた普段の自分自身の姿に、ロイは奈落の底に突き落とされたかのような絶望を感じた。

「そんな……あれが僕………じゃあ…僕って一体………」



そして、落ち込んでいる人物もう一人。

「オレ…何か間違ったのか……?」

「いや、少尉は立派でした」

「准尉!」

「少尉!」

手と手を取り合って盛り上がっている2人とは対照的に、呆然とするロイ。

それに追い討ちをかけるようにリザのやる気はまったく衰えることを知らない。

「さあ、さっき見たとおりやってみてください。出来るまで何度でもやりますから!」

「………はい……」






新たな『ロイ・マスタング』としてのロイの一日はまだまだ続く。