記憶の糸 4
「大佐、退院おめでとうございます!」
「マスタング大佐、ご無事で何よりです」
爆発テロから2週間後、ロイはようやく司令部に復帰した。
目が覚めてから丸々1週間、リザにより『ロイ・マスタング教育』は休む間もなく続けられた。
ロイとしての振る舞い方や口調に始まり、軍部の人物から内情にいたるまで、ありとあらゆることを詰め込まれた。
その間、ロイは一体何度、衝撃の余りに気絶しかけたことだろう。
特に、これまでの自分像を教えられるたびに、穴があったら入りたい、寧ろ今すぐ自分で地中深く穴を掘って埋まってしまいたい衝動に駆られた。
それとともに気になったのがリザについてである。
ロイが目を覚ましたとき、一番最初に見たのはリザであった。
そのときは彼女が誰なのかということは分からなかった。
もっとも、今ロイが知っているリザについての情報も新たに教えられたものであるため、名前や軍部内での地位、そして自分の副官であることくらいしか知らない。
ただ、自分に向けられた今にも泣きそうなその瞳にどこか懐かしい感じがした。
しかし、それも今思えば間違いなのかもしれない。
入院中のリザにより指導を思い出しただけで、ロイは背筋が凍りつく気がした。
あの鷹のように鋭い目で睨まれると思わず身がすくんでしまう。
記憶はないものの、彼女に逆らってはいけないとロイの本能が告げていた。
そして目が覚めてしばらくして、その判断は正しかったということをロイは目の当たりにすることになった。
それは目が覚めて4日目のことだった。
その日は病室の警備にフュリーという小柄な男が来ていた。
彼も自分の腹心の部下であったといわれたが、ロイはやはり覚えてはいなかった。
いつものようにリザにより授業が始まって2時間ほど経ったころ、病室のドアを引っかくような音が聞こえた。
「あっ、もしかして……」
そういって、フュリーがドアを開けると同時に、小さな黒いものが部屋の中へと飛び込んできた。
「こらっ、ついて来ちゃダメだって言っただろ!」
見るとそれは子犬だった。
「ほら、こっちにおいで!ブラックハヤテ号」
どうやらこの犬はブラックハヤテ号という名前らしい。
この男、大人しそうな顔して物凄いネーミングセンスだな…と思いながらロイはその犬を見ていた。
ブラックハヤテ号は追いかけるフュリーをからかうかのようにキャンキャンとほえながら、リザの足元をうろちょろして逃げ回っている。
「あぁ、ダメだよハヤテ号!そんなことしてたら中尉に…」
そのときだった。
ガチャリという乾いた金属音の直後、バーンという銃声が響き渡った。
あまりの音の大きさに、ロイは驚いてベッドに倒れこんでしまった。
閉じていた目をおそるおそる開いてみると、涙目のブラックハヤテ号の足ものの床には銃弾のめり込んだ痕がある。
そして、ブラックハヤテ号の視線の先をたどると、そこには銃口からまだ煙が上がっている銃を手にしたリザの姿があった。
「こら、ハヤテ号!いい子にしてなさいっていつも言ってるでしょ?」
「キャウ〜ン」
すっかり大人しくなったハヤテ号をフュリーが抱きかかえて何事もなかったかのように病室の外へと連れて行く。
「中断してしまってすみません。では先ほどの続きから…」
そして、こちらも何事もなかったかのように授業を再開した。
「……何か?」
あっけに取られた顔をして自分を見ているロイに気づいてリザが聞いてくる。
しかし、ロイは黙って頭を横に振った。
「…そうですか?では…」
続いていくリザの話を聞きながら、ロイは思った。
フュリーも動揺しなかったことを考えると、これは日常茶飯事なのだろう。
決して彼女に逆らってはいけない……
しかし、実際に「ロイ・マスタング」として軍に来てみて、ロイは驚いた。
入院中、嫌になるほど聞かされたこれまでの自分についての話は、どこか誇張されたものであると思っていた。
ところが、街を歩けばあちらこちらの女性が声をかけてくる。
司令部内でもそれは変わらず、あわせて同じ大佐位にあるものからの皮肉や嫌味もついてきた。
それらはまさしく病院で、リザやハボック達が語っていた通りだった。
「どうかされましたか?どこか具合が悪くなったとか……?」
執務室に入るなり、ぐったりと机に伏してしまったロイにリザが心配そうに声をかける。
いくら問題ないと診断されたとはいえ、頭を強打したのだ。
後になって症状が表れるということも十分考えられる。
「いや……本当に自分が、あの時教えられたとおりの人間なんだなと思って……」
「ですからあの時、そう申し上げたじゃないですか」
「はい………」
そう返事はしたものの、慣れない立ち居振る舞いと見られていると思う緊張感からくる疲労で、すぐに起き上がる気力もない。
そんなロイの前に、何かがコトリと置かれた。
香ばしい、良い香りが鼻先を掠める。
ゆっくり顔を上げると、目の前に湯気の立ちもぼるカップが置かれていた。
「それ一杯飲んだら、今日の分の仕事をお願いします。書類は私が分けておきますので、大佐はこちらへサインだけすれば大丈夫ですから」
そういって、デスクの端の方で、リザは書類の仕分けを始めた。
「………いただきます……」
一口飲む。
ミルクが少し大目のコーヒー。
最初に司令部に来たときにハボックが持ってきてくれた、薄いコーヒーではなく、それはきちんとドリップされている味がした。
もう一度、ちらりとロイはリザの方を見る。
リザはただ黙々と書類に目を通し分類している。
小さく頭を下げると、ロイはゆっくり残りのコーヒーを飲んだ。